秋田地方裁判所 昭和56年(ワ)501号 判決 1985年3月29日
原告
伊藤孝之助
被告
トヨタカローラ秋田株式会社
主文
一 被告は原告に対し金一二八二万一一八三円およびこれに対する昭和四五年一〇月一五日より右支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを三分し、その一を被告の、その余を原告の各負担とする。
四 第一項は仮りに執行できる。
事実
(申立)
第一原告
一 被告は原告に対し金四四一一万八四六四円およびこれに対する昭和四五年一〇月一五日より右支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
三 仮執行宣言
第二被告
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
(主張)
第一請求原因
一 事故の発生
1 昭和四五年一〇月一五日午後九時一五分から、秋田市金足下刈字北野一〇番八号先の国道七号線上において、訴外小玉信二の運転する秋田から五城目町方面へ進行中の秋田中央交通株式会社の定期バス(車両番号秋二い六七〇)と訴外近藤重春(以下単に近藤という)の運転する小型乗用車(車両番号秋五に八六〇五)とが衝突した。
2 近藤は、右国道七号線を能代方向から秋田方向へ向けて走行中であつたが、事故現場付近で突然センターラインを越えて対向車線に進入した。ちようど対向車線を反対方向に走行していた前記訴外小玉は、前面に進入してきた前記小型乗用車を避けることができず、前記事故が発生した。右事故は近藤の過失によるものである。
3 右事故により近藤は即死した。一方右バスに乗り合わせていた原告は全身を打ち、頭部外傷、頸部挫傷等の傷害を受けた。なお原告は昭和七月一一月一日生れ(当時三七歳)の男性で、職業は日本画家である。
二 責任
被告は近藤の使用者である。近藤は、当日被告の用務で能代へ出張し、そこから帰える途中で本件事故を発生させたものである。したがつて被告は使用者として本件事故によつて原告の蒙つた損害を賠償する義務がある。
三 原告の傷害
1(一) 原告は事故後から色々の治療を受け、昭和四八年五月二三日から同年六月一七日まで秋田赤十字病院に入院したほか、現在まで主に秋田市の七海医院で治療を受けている。
(二) 原告には頭痛、眩暈、悪心、頸部不快感等の頭部症状、心悸亢進、胸部圧迫感、不安感等の胸部症状、下痢、腹痛等の腹部症状等が交互に現われ、現段階でもそれは続き、全治の見込みはない。
(三) なお原告は、昭和五二年一〇月に自賠責保険の関係で後遺障害一四級の認定を受けた。
2 本件事故と原告の現在の病状とは因果関係がある。
(一) 原告は、本件事故前は健康体であつて、これという病気にかかつたこともなかつた。
(二) そして原告は事故直後より今日まで中断するところなく診察治療を受けてきている。
(三) 本件事故によつて原告は頸部挫傷を受けている。一般的にも頸部の挫傷によつて原告のような後遺症は起こり得るものであり、かつ担当医師はその因果関係を認めている。
四 損害
1 治療費等 金七三万三一二四円
(一) 金三六万一二七〇円
昭和四七年四月から同五四年一二月までの分
(二) 金三七万一八五四円
昭和五五年一月から同五八年九月まで(別紙計算書のとおり)
(三) 以上合計金七三万三一二四円
2 通院交通費 金五五万三四〇円
昭和四七年四月から同五八年一二月までその明細は、別紙通院費計算表のとおりで合計金五五万三四〇円
3 休業損害、逸失利益 金三二七五万五〇〇〇円
(一) 休業損害 金二一二〇万三〇〇〇円
(1) 原告は、本件事故により日本画家としての能力を失ない、同時に本件傷害により他の仕事につくことも現実に不可能である。現在まで休業状態が続いている。すなわち本件事故後現在まで一〇〇パーセント休業している。
(2) 昭和四四年度の一年の所得は金一八〇万円である(なお同四五年度の年収は既に本件の事故の影響により減収となつているので、基準とするのに適当でない。)。
(3) 本件事故時、原告は、日本画家としての地位が確立される目途がついたところであり、現に前年度制作のものが昭和四五年度の院展に入選するなどした。当然その後の原告の収入は増加が見込まれた。少くとも物価の上昇程度の収入の増加は見込まれるものとして、昭和四四年度を基準として各年度の消費者物価指数を乗ずることで、別紙計算表のとおり毎年の推定年収を算出した。
(4) 以上の数値を基準として、昭和四五年一〇月一六日から昭和五八年一〇月末日までの休業損害を算定し、新ホフマン係数により中間利息を控除すると、その損害は別紙計算表のように金二一二〇万三〇〇〇円となる。
(二) 逸失利益 金一一五五万二〇〇〇円
(1) 将来については或程度能力の回復する期待も持てるが、せいぜいその限度は五〇パーセントと考えて、昭和五九年度から六七歳となる昭和七四年度まで収入が得られるものと推定し、新ホフマン方式により計算すると、その総額は別紙計算表のとおり金一一五五万二〇〇〇円となる。(なお、前同様物価指数を考慮して年収を推定したが昭和五八年度のそれは昭和五七年度と同額として計算した。)
(三) 以上の損害の合計は金三二七五万五〇〇〇円
4 慰謝料 金九〇八万円
(一) 傷害による慰謝料 金二三九万円
入院による慰謝料を一ケ月金三〇万円、通院によるそれは実治療日数六三二日、治療期間は一〇年以上になるが、実治療日数の三倍を目安とする約六三ケ月が通院期間である。一五ケ月以降は一ケ月につき金二万円を上乗せして計算すると、別紙計算表のとおり金二〇九万円となる。その合計は金二三九万円である。
(二) 後遺症による慰謝料 金六六九万円
五〇パーセントの労働能力を喪失したものとみて、後遺障害別等級表七級に準じて、後遺症による慰謝料は金六六九万円である。
(三) 以上合計金 九〇八万円
5 弁護士費用
本訴は弁護士に委任して追行せざるを得なかつたところ、その費用として少なくとも金一〇〇万円を要する。これを損害賠償として請求する。
五 よつて原告は被告に対し金四四一一万八四六四円およびこれに対する本件事故の日である昭和四五年一〇月一五日より右支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第二請求原因に対する答弁
一 請求原因一項1の事実および同3のうち近藤が事故により即死したことは認める。同2の事実および同3のうち右以外の事実は不知。
二 同二項のうち、被告が近藤の使用者であり、本件事故は同人が出張から帰える途中に発生したことは認める。
三 同三項のうち、原告主張のころ、自賠責保険の関係で後遺症一四級の認定を受けたことは認める。因果関係の点は争い、その余の事実は不知。
本件事故が発生したとき、バスには他に客が同乗していた。数名の客が打撲傷等の傷害を受けたが、いずれも一週間程度で全治した。昭和四七年六月一九日以降の原告の症状は、本件事故とは関係のない一般疾病としての神経症および右大後頭部神経痛である。原告の訴えの症状は多種多様であり、ほとんど全身に及んでいる。また原告の肥満そのものも薬による副作用が疑われる。一方再三の検査にも関わらず器質的障害は認められていない。
その職業、性格等からして、原告は同じ体験をしても心因性ないし神経性の諸症状を呈し易い要因を潜在的に有していたものと考えられる。原告主張の各症状は、本件事故との条件関係は否定できないとしても、相当因果関係を認めることはできない。
四 同四項は争う。
五 同五項も争う。
第三抗弁
一 原告は、本件事故による損害の填補として、次のとおり金員を受領している。
(1) 昭和四六年一二月二六日 金一〇万円 自賠責保険から
(2) 同四七年一〇月二〇日 金三〇万円 右同
(3) 同四八年六月五日 金四〇万円 被告から
(4) 同年一二月二四日 金五万円 右同
(5) 同四九年八月一〇日 金二〇万円 右同
(6) 同年一二月二七日 金四〇万円 右同
(7) 同五二年九月一七日 金一九万円 自賠責保険から
二 以上合計金一六四万円は総損害から差引かれるべきである。
第三抗弁に対する認否
原告は右抗弁について認否をしなかつた。
(証拠関係)
本件訴訟記録中の当該欄記載のとおりなので、ここにこれを引用する。
理由
一 請求原因一項1の事実は当事者間に争いがない。そしていずれも成立に争いのない甲第二、三号証、第四号証の一、二、証人鎌田由蔵、奈良蕃の各証言、原告本人尋問の結果を総合すると、同2・3の事実のほか、近藤は被告の中古車課長で、本件事故当時運転していた車両は被告の社用車であつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
以上の事実によると、本件事故は被告の被用者近藤がその事業の執行につき生ぜしめたものであり、かつその一方的過失によるものであるから、被告は右事故により原告の蒙つた損害を賠償しなければならない。
二 次に本件事故のさい原告の受けた打撲・傷害の態様、後遺症の内容、本件事故と現在の症状との因果関係などの諸点について判断する。
1 前記甲第三号証、第四号証の一、二、証人奈良蕃の証言、原告本人尋問の結果に前記本件事故の態様を合わせて考えると、原告は事故のさい、乗合バスの最前部左側の座席に座わつていたが、座席前の手掛けに保護され、急停車を予期していなかつたのに座席から前に投げ出されなかつたこと、しかし体がいつたんは浮き上がるように感じ、その後ねじれて座席に押し込められた形でバスの車体に体を打ちつけたこと、そのさい特に左肘、右膝、頭などを打つたことまたバスは右前部を前記小型乗用車に衝突されたが、それを避けようとしたため左側・路上外へ出て停止したこと、以上の事実が認められる。
しかしながら右証人奈良蕃の証言から窺われる他の乗客の状況、衝突の相手が小型乗用車であることなどからして、本件事故のさい原告の受けた力がそれほど大きかつたとは認められない。
2 いずれも成立に争いのない甲第二二号証、第二五号証、乙第七号証の一ないし一〇(原告の存在も)、証人七海清敏の証言および弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第一〇ないし第二〇号証、原告本人尋問の結果および弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第二七号証の一ないし一四、弁論の全趣旨によりその成立の真正を認めることができる甲第九号証の一ないし一二、第二一号証の一ないし三、証人七海清敏の証言、原告本人尋問の結果を総合すると、次の事実を認めることができ、右認定を覆えすだけの証拠はない。
(一) 本件事故後原告は秋田組合総合病院、秋田赤十字病院(昭和四八年五月二三日から同年六月一七日まで入院)などで治療を受けていたが、昭和四七年四月からは、主として精神科の専門医である七海清敏医師の治療を受けて現在に至つている。原告は自覚症状として当初、めまい、耳鳴り、吐気、首筋のあたりが張る、四肢がだるいなどと訴えていたが、以後そのような症状はそれほど改善されず、そればかりか、心臓の発作(心悸亢進)、胸の痛み、頭痛、発汗、手のふるえ、下痢等の症状が繰りかえし起きて現在に至つている。なお原告は事故後かなり把満した。いずれにしても日本画家であつた原告は現在に至るまで絵筆を取ることができない。
(二) 原告には、本件事故前前記のような自覚症状はなく、一方専門医による心電図、脳波等種々の検査にも拘わらず、前記症状に見合うような器質的障害は発見されていない。もつとも自律神経の機能等についての各種の検査がなされた形跡はない。長期間診察治療してきた前記七海医師は、原告の病状を本件事故による頭部外傷(頸部挫傷か頭部打撲かは明確でないが)に起因する自律神経の異常と診断している。すなわち本件交通事故を、一つの恐怖・不安体験として、人格の深層部分が記憶し、それがときに理性的にでなく反射的に呼び起こされ、自律神経系統の働きが起きる(原告の場合自律神経がほんの少しの刺激にも反応する。)。そうすると、なにもないのにそういう症状が出ることに驚ろき、不安を抱き、これがさらに反応して症状が激しくなるという悪循環を繰りかえす、というように発生機序を説明する。その治療は、抗不安剤その他各種の薬物投与が主である。同医師は、原告の症状は当初のころは比較してかなり軽快したが、その不定愁訴は続き、今後全治に至るかどうかはなんともいえないとする。
(三) ところで七海医師は、神経症と頭部外傷後遺症による自律神経の異常はまつたく別の概念とする。なるほど右の異常は甲第二五号証によると、軽度の脳損傷に基づくものといわゆる外傷性頸部症候群による頸部損傷の場合とがあり、いずれも自律神経の機能障害が生じている場合で、神経症との鑑別は難しいとする。そして同医師は神経症からの自律神経の異常は、説得・指導によつて治まるが、本件の場合はそれでは治まらないとする。もつとも同医師も右自律神経の異常機能低下には、驚愕・恐怖、受傷による正常生活の中断というようなことが影響を与えているのではないかとする(甲第二五号証では右は外傷神経症のところで説明されている。)しかし、その発症についてなにが影響を与えているかは不明の部分が多いとも述べる。
3 一方前記乙第七号証の一ないし一〇、成立に争いのない甲第五号証、証人川上敬三の証言によると、原告は秋田赤十字病院でも治療を受け、特に前記の期間入院して検査、治療を受けたが、同病院の医師達は、器質的障害は認められず、その予想もできないとの理由で、七海医院で診察されたと同様の自律神経の失調等(特に入院検査の主原因は心臓発作であつた)の症状を前提として、それらを外傷性神経症と診断した。そして同病院の川上敬三医師は、昭和五二年六月六日の段階で原告の症状はいちおう固定していたと診断している(とつとも同医師は証人としては、もつとかなり以前に固定していたであろうと述べる。)
4(一) ところで右両医師の見解の正否は別として、本件程度の事故で、一五年近くも経過してからも、脳や頸部に器質的損傷がないのに七海医師の説明するような機序で、自律神経のそれほどの異常が生じている被害者は稀ではないかと思われるし、他方それには被害者の側の個別的要因が深く係わつているのではないかと考えられる。(もつとも七海医師は、右のようなことは個々の人格的なものとは関わりがないもしくは関係があるということは証明されておらず、それらと関係があるというのは六〇年も前の古い説であるとも述べる。一般的には器質的原因に基づかない様々の自律神経の異常は、その発生機序や分類について、現在なお異なつた色々の見解がある。しかし共通して、心因、生活環境、潜在的素因などが大きな因子であろうと考えられている。―例えば椿忠雄他著臨床神経学・医学書院・五一九頁以下)
結局原告の障害が本件事故による頭部外傷後遺症という言葉で表現することができ、かつそれが外傷神経症とは異なるものだとしても、本件事故と右障害、ひいてはそれにより原告が絵筆を取ることができずに蒙つた全損害との間に損害賠償法の次元での相当因果関係があるとまでは認められない。
なお前記のとおり七海医師も、その証言では、原告の障害について結局条件的な意味での本件事故との因果関係は別として、その発生機序には不明の分野も多く、右の意味での相当因果関係があると断定しているわけではない。
(二) 一方川上医師の見解に立つても、原告の自律神経の異常と本件交通事故との因果関係を全面的に否定することになるのかどうかは疑問であるし、なにより同医師が原告を診察・治療した期間は短かいので、七海医師の診断を排し、川上医師の見解を全面的に採用することにもちゆうちよせざるを得ない。
(三) 当裁判所としては、以上1ないし3の認定事実および右4の(一)、(二)の事情を総合的に考え、かつ原告が日本画家で、自律神経の異常からくる手の震えなどの影響を受け易いことも考慮し、原告の障害を自賠責保険の等級別後遺障害の一二級一二号に相当する労働能力の喪失(一四パーセントが一〇年間)があつたものとして、換言すればその限度で本件事故と原告の障害とは因果関係があるものと認め、その損害を被告に負担させるのを相当と認める。なお前記川上医師の意見その他右一二級の一般の後遺障害の場合も参酌して、昭和五〇年一二月末日に症状が固定したと同様に扱い、以後一〇年間、同六〇年一二月末日まで右後遺障害が継続するものとしてその損害を算定する。少くともそれ以上の部分については、前記各証拠、もしくは認定事実その他本件全証拠をもつてしても、本件事故との間に相当因果関係があるとは認められない。
三 損害
1 治療費 金六五万二八四三円
前記甲第九号証の一ないし一二、第一〇ないし第二〇号証、原告本人尋問の結果と弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第八号証の一ないし三、第二六号証の一ないし三六、第二七号証の一ないし一四、原告本人尋問の結果に弁論の全趣旨ならびに前記認定の原告の症状、治療の実状等を総合すると、次の事実が認められる。
(一) 昭和四七年四月から同五八年九月まで、原告は七海医院、秋田赤十字病院、在山整骨院などで治療を受け、その治療費として少くとも金七三万三一二四円を支払つている。
(二) もつともそのうち七海医院の分、金六万九六二一円は本件事故とは関係がない病気の治療分である。
(三) なお在山整骨院の分金一万六六〇円も本件事故とは関係がない。右は左足関節捻挫を治療したもであり、証人七海清敏の証言によると、本件事故とは関係がないと認められる。この点についての原告本人尋問の結果は採用できない。
(四) 以上差引計算をすると、その合計は金六五万二八四三円となる。なお治療費については、すべて前記期間内であり、医師がその必要を認めているのであるから、これを全額損害として認めるべきである。
2 通院交通費 金五五万三四〇円
前記甲第一〇ないし第二〇号証、原告本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨によると、別紙通院計算表のとおり、原告は少なくとも七海医院に通院し、その交通費も右表のとおり要したこと、もつともその治療のうちには、本件事故と明らかに関係のないものも含まれているが、その通院のさいには七海医師が頭部外傷後遺症としている症状の治療、投薬を受けていることが認められるので、結局治療に要した通院交通費は金五五万三四〇円である。
3 休業損害・逸失利益 金九四〇万八〇〇〇円
まず前認定のとおり昭和五〇年一二月末日までは全損害を、同五一年から同六〇年まではその一四パーセントをその損害とするべきところ、成立に争いのない甲第三三、三四号証、原告本人尋問の結果および弁論の全趣旨によりその成立の真正が認められる甲第二八号証の一ないし三、第二九号証の一ないし四、第三〇、三一号証、第三二号証の一ないし三、原告本人尋問の結果によると、次のとおり認められる。
原告は、昭和四五年院展に初入選し、日本画家として名が知られ出しその絵が売れ始めたころ、本件事故に出会い、その後絵筆をとることができない。昭和四四年度の所得は経費を差引いて金一〇八万円であるが、画家としての特質から年齢とともにその所得は増えることが、少なくとも物価指数程度には増加したであろうことが推認される。なお右のような算出方法での結果は、賃金センサス等との対比でも不当なものとは思われない。その各年度の得べかりし所得は、別表(休業損害及び逸失利益)のとおりとなる。
(一) 昭和五〇年一二月までの分を、新ホフマン係数により計算すると、その休業損害合計は少くとも金六九三万円となる。
(二) 次に昭和五一年から同六〇年までの分は、全損害の一四パーセントとして、少くとも金二四七万八〇〇〇円
17,703,000×0.14=2,478,420
(100円以下切捨て)
(三) 以上合計 金九四〇万八〇〇〇円
4 慰謝料 金三〇〇万円
前認定の入・通院の実状、原告の症状、年齢・職業、因果関係、本件が昭和四五年の事故であることなどを考慮し、本件事故による慰謝料は、入通院分金一四〇万円、後遺症分金一六〇万円、合計金三〇〇万円とするのが相当である。
5 以上の合計は金一三六一万一一八三円である。
四 次に抗弁について判断する。
原告本人尋問の結果および弁論の全趣旨によりいずれも真正に成立したと認められる乙第二ないし第六号証に弁論の全趣旨を総合すると、1の(3)の昭和四八年六月五日の金五万円を除き、抗弁事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。なお本件全証拠によつても右金五万円を被告が支払つたとの事実は認められない。
ところで証人奈良蕃の証言、原告本人尋問の結果によると、右の金員の相当部分が秋田赤十字病院の入院費などの治療費(本訴で原告は請求していない)に充てられたものであろうことが窺われるが、原告訴訟代理人は、再三の釈明にも拘わらず、抗弁事実について認否をせず、それらの関係を明らかにしない。よつて総損害から右支払分金一五九万円を差引くと、残額は金一二〇二万一一八三円となる。
五 弁護士費用 金八〇万円
原告が弁護士に委任して本訴を追行したことは明らかであり、本件事案からして、それはやむを得ないところ、本件事案の性質、右認容額、さらにそれが事故発生日の評価として支払われることなど諸般の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係にある弁護士費用は金八〇万円と認める。前記損害と合わせると、その総損害は金一二八二万一一八三円となる。
七 むすび
よつて原告の請求のうち金一二八二万一一八三円とこれに対する不法行為の日である昭和四五年一〇月一五日以降右支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分を正当として認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、仮執行宣言につき同一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 鈴木経夫)
治療費明細表(昭和55年1月から同58年9月まで)
<省略>
通院費計算表(自s47、4至s58、12)
<省略>
別表(休業損害及び逸失利益)
<省略>